寝台列車の夢を追って

2026年04月26日
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ゴールデンウイークになりました。
弊社のゴールデンウイークは暦通りですが、中には大型連休を取られている方もいらっしゃると思います。
家族と一緒に出掛ける人、家の中で悠々自適をする人、仕事が溜まって片づける人、いろいろな方がいらっしゃると思います。
今回は、自分がイメージしていた旅行が、少しずつ現実化してきたことを書きたいと思います。

私は、小さいころから電車が好きです。
なぜ電車好きなのかはわかりませんが、代々の血の影響はあると思います。
私は母方の祖父と叔父が国鉄の職員だったことが影響しているのではないかと思います。
小学校1年生の時にダイヤグラムをもらったのがスタートです。
しかし、その時はこれを見ても意味が分かりませんでした。

※ダイヤグラムのイメージ

その後、数字好きの自分に『時刻表』を買い与えられたのが小学校2年生のとき。
ここが転機になります。
世の中の人が見ても、時刻表なんかはただの数字羅列だと思いますが、私にとっては宝箱。
あの電車に乗りたい、この電車に乗りたいという夢が詰まっていました。
それが興じて子どもながら自分が新しい電車を自作して、房総一周を乗り換えなしで走る夜行列車を時刻表で作ってみたりしました。

夢は膨らみ、小学校5年生の時に、当時の友達を連れて2日簡で房総半島一周の計画を立て、朝5時過ぎの千葉駅発の電車に2日続けて乗り、房総一周をしたりしました。


※当時はほぼすべての路線、この電車が走っていました。

また、母の実家の敦賀に行ったときは、当時の周遊券の金額が通常に買うのと全然変わらなかったのでそれを買って現地に行き、周遊区間内であった金沢までを一人で何度も往復するようなことをしていました。
(この路線もいつの間にか全部新幹線になっていますね)

高校の時は、卒業旅行と称して友人5人で青森へ行き3泊しました。その時に開通してまだ2、3年の青函トンネルをくぐって函館まで行ったことを思い出します。東北新幹線は、まだ盛岡までしか開通していなく、盛岡から青森は特急「はつかり」に乗って青森に行きました。そこまでも4、5時間かかったと思います。
そこから函館までは、快速海峡号で2時間半とか3時間近くかかります。そのため、泊まった旅館の朝ごはんを食べて9時過ぎに青森駅を出たら、到着するのが12時前、旅館の夕飯の時間を考えると、函館滞在は2時間くらいしかなかったのですが、友人4人にお願いして青函トンネルをくぐったことを覚えています。

大学になると、いよいよ1人で寝台に乗ることになります。
山口県の知り合いに会うために、寝台のはやぶさ号の乗りました。
当時は、2段の向かい合わせの寝台車で、カーテン1枚の仕切りでの車内でした。

※当時の2段寝台イメージ:向かい合った人と上下段の見知らぬ人で会話していたイメージです。

20歳くらいだった私でしたが、下段のおじさんがビールをくれて一緒に飲んだことを覚えています。
自分のゾーンは上段でしたが、そこのカーテンを閉めることなく、そこにみんなで座ってワイワイして移動していました。
今では、心底考えられないことだと感じます。
その後も、数度「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」に乗りましたが、本州を夜のうちに縦断するという夢の時間は未だに忘れません。
また、心地よい揺れから目覚めると、運転停車している駅に着いていて、それはそれでワクワクさせられます。

時を同じくして、北海道フリーきっぷが発売されており、それは上野からの寝台に利用が出来るということから、それを使って北海道まで行きました。
5日間で25,000円くらいで行けたと思いますが、とても安く寝台に乗れるということで、フルに使って出かけた記憶があります。


冬に出掛けたのですが、「北斗星」に乗って北海道に入った直後の雪景色はホント感動モノでした。
札幌に着くころには、11時くらいだったと思います。結構時間もかかって(16時間くらいだったと思います)大変でしたが、当時の自分には楽しさだけで全く苦も無く乗り続けたことを覚えています。
この旅は、3日目の夜も「オホーツク」で網走から札幌に夜行移動したので、北海道の行き、帰り合わせて4泊のうち3泊を電車の中で過ごしたことになりました。
価格を考えると、宿泊料含めてこの値段で移動出来たのは格安も格安で、今では考えられないものですね。

電車好きが興じて、車内販売のアルバイトをやったのもこの時期です。
以前にブログでも書きましたが、今は車内販売も終焉にかかっています。しかし当時は車内販売は各特急列車には必ずと言っていいほど乗車していました。
私も、東京駅から館山駅の「さざなみ」、安房鴨川駅までの「わかしお」、そして総武本線経由の「しおさい」の3特急に乗車していました。

※上段 さざなみ 館山駅  下段 しおさい 銚子駅

「さざなみ」は今は君津までになる電車がほとんどで、ほぼ通勤用になっていますが、当時はかなり人も乗ったいい電車でした。
「さざなみ」と「わかしお」は東京駅京葉線地下ホームの一つ上に車内販売室があり、そこからカードを運んで乗車していましたし、「しおさい」は錦糸町の快速ホームの端に車内販売室があり、そこから乗車していました。
通常は1往復が基本でしたが、しおさいはダイヤの関係もあり2往復していました。さざなみとわかしおは車内にも車内販売室があったので、車窓を眺める場所があり、とても素敵だったと記憶しています。

社会人になると、段々と新幹線が発展し、寝台列車はだんだんと衰退してきました。
その中で、北海道の寝台はまだまだ活況で、目玉はやはり『カシオペア』でした。


それほどインターネットが普及していないときでしたから、何とかして取りたいと駅に並んだことも一度や二度ではありません。
幸運なことにカシオペアを取ることができて、乗れたのは、2000年頃だったかと思います。
一段階上の雰囲気と、個室。
初めて乗った寝台列車とは別物で、それはそれで感動したことを思い出します。
3度乗りましたが、どれも記憶にはっきりと残っています。

いよいよ北海道まで新幹線が通り、4時間で函館まで行けるようになりました。
家からでも5時間で函館に行けます。


何度か北海道に新幹線で行きましたが、寝台列車で青函トンネルから出てきた雪景色ほどの感動はありません。
しかし、新函館北斗から乗り換えて函館駅に着いたときに感じるのは、あっという間だなという一言です。
18のときに初めて函館に降り立ってから、かなりの回数函館には来ていますが、快速で来た函館から、特急「白鳥」、北斗星、カシオペア、そして北海道新幹線と乗り物が変わっても、函館のホームは変わらないなと感じました。

現在、サンライズエクスプレスを最後の砦として、寝台列車はなくなってしまいました。


早く届けることが圧倒的な正義となった以上、仕方ありませんが。
少し夢はなくなったと感じます。
単価を上げるという意味では、お得すぎるきっぷが減ってしまうのも仕方ないのかもしれません。
そして、駅ホームにコンビニが増えて、車内販売がほぼなくなってしまったのも、効率的には仕方ないですね。

夢よりも圧倒的に現実になった今、面白みは半減しました。しかし小学校からの夢を考えると、北海道まで新幹線が通って、そこに自分が乗って移動しているというのは違う面白さを感じます。
この先札幌延伸やその先にリニア開通も控えていますが、日々発展する動きが非常に楽しみです。
一方で、18きっぷをはじめとする「おとくなきっぷ」の行く末は非常に厳しいものになっています。
また旅気分を味わう車内販売や駅弁は風前の灯です。
旅を味わうために、それなりにお金を出すことが必須になりそうです。
旅の価値というのが、見直されて、そこにお金をかけてもいいという人が増えてきたことは一つの要因かもしれません。


※函館駅での夢空間北斗星の停車シーン 本当に寝台列車は夢の空間だったと感じます。

電車というものをどのように味わえるか、ここからの動きも、注目しています。